5:ハハノキモチ

 

 梅雨入りしてから、しばらく続いていた雨も小休止に入ったようで、その日はよく晴れて青空が広がっていた。

 私鉄から大宮に出た僕と妻は、ルミネにある花屋に立ち寄った。妻のお義母さんの誕生日プレゼントを買うためだ。ピンク系の、いかにもプレゼント用の花もあったけれども「夏っぽいから」とフラワーアレンジメントされた小さな向日葵を買った。その後ろでは、高崎祭のPRイベントで、巨大達磨の前にたくさんの人たちが並んでいた。おみくじもやっていたのか、達磨の近くに置かれた台に、それを楽しそうに結びつけている男女が目に映った。

 それから、JRの改札中にあったお土産屋にも立ち寄って、桃とサクランボの洒落たケーキを誕生日プレゼントとして買った。妻がお金を出そうとしたが、「俺の手柄にさせて」とケーキ代は僕が出すことにした。さすがに、これから善意で出してくれた、新婚旅行の費用を貰いに行くのに、自分だけ手ぶらでいくのは気まずいし、お世話になっているお義母さんたちに誠意を見せたいのである。

 

2

 

 久々にE233系に乗って南古谷まで行く。そこから、お義父さんと合流して車で、妻の実家に向かった。妻の家族とは、平成最後の日に、妻の親戚宅に挨拶へいくために会った。そして今日、令和始まって初めて顔を合わせる。

 「マラソン大会、応援行けなくてすみませんでした」とお義父さんは僕にそう言った。

 「いえいえ。他のマラソン大会は冬場にやるのですが、春日部のマラソン大会は遅い時期にやるもので、とても暑くて、たった10キロでも、かなりきつかったです」と僕は答えた。

 右手には道沿いに田んぼが延々と続く。田んぼを向こう側から住宅地が広がり、さらに先に行くと高い建物がいくつか見えてくる。しばらく志木方面へ向かって走っていると、左手にさいたま新都心のビル群が見えてくる。さらに奥に目をやると、両家の顔合わせに使った浦和パインズホテルが見えてくる。沖縄料理屋を通り過ぎ、大きな道路を渡り、少しすると、妻の実家が見えてきた。

 

3

 

 家に着くと、お義母さんがすぐに昼食の準備に取りかかった。僕は妻と話しながら、部屋を見回していた。部屋には、幼い時の家族写真と、結婚して家を出る前にいった家族旅行の写真が棚に飾られていた。お義父さんとお義母さんの人柄がよくわかるような気がした。

 昼食には、唐揚げ、鯛の煮つけ、サラダ、キュウリのおしんこ、揚げナスを麺つゆで浸した料理(名前がわからない)が、テーブル一杯に並んだ。ちょうどその頃、妻の妹も東京から戻ってきた。

 どれも、とても美味しかった。胃の調子が悪くなければもっと食べられたのにと僕は思った。

 話は、新婚旅行の話になり、お義母さんが僕に尋ねる。

 「宮沢賢治の博物館がある花巻も考えたんですが、梅雨のこともあって、色んな事を考えて、結局のんびりできそうな青森の星のリゾートに行くことにしました」と僕は言った。

 「斜陽館には行かないの?」

 「太宰治の実家のあるところですよね。八戸から津軽って結構遠くて、その代り、久慈には行く予定です」

 「久慈へ行くレストラン列車があるから、青森にしたんだけど、予約がいっぱいで取れなくて」と妻がお義母さんに説明した。

 テレビは、SL特集がはじまった。かつて各自治体に、旧国鉄が無償で提供したSLが、老朽化とずさんな管理で痛み、補修費も数千万になり、維持していくのか解体するのか、各自治体が、どう扱っていくのかがピックアップされていた。さいたま市中央区役所に展示されていたSLは、解体の道を選び、現在その場所は駐輪場になっている映像がテレビから流れていた。僕とお義母さんたちは、それをぼうっと見ていた。一方で、妻と妹は、妻が持ってきた結婚式のパンフレットを一緒に見て、2人で盛り上がっていた。

 テレビは野球中継に変わった。埼玉西武ライオンズヤクルトスワローズの試合で、1対1、4回の表で、ちょうど西武の攻撃になろうとするところだった。

 「野球は好きなの?」とお義父さんは、ふいに、僕の方を振り返って聞いた。

 「いいえ、見ません」と僕は即答した。お義父さんは、ヤクルトファンらしい。一瞬、僕の好きな作家、村上春樹が名誉会員なんですよとなんて薀蓄を言おうと思ったが、結局口には出さなかった。

 「ヤクルト、負けてばっかりで、全然ダメなんだよ」とお義父さんはお義母さんと話している。そうしている間に、西武は1塁、3塁に打者を送り、次に気づいた時にはホームランを打たれたようで、一気にヤクルトは3点も西武に許してしまう。お義父さんは、きっとがっかりしたに違いない。

 そんな風に時間がゆっくりと流れている間に、僕は、さっぱりして美味しかったナスを何回かつまんで食べていると、妻がお義母さんに「この料理、作り方教えて」と聞いた。僕が何回も箸で取って食べているのに気がついたのだろう。

 「アヤちゃん(仮名)が好きだから作ったの」とお義母さんは言った。それから作り方を僕の妻に細々と説明してくれた。

 久々に娘が遊びに来るから、娘の好きな料理を用意しようという、母の深い優しさや愛情から出る振る舞いに、僕は少し心を動かされた気分になった。『観心本尊抄』という仏典に、「どんな人でも自身の子に対して慈愛の心が出る」(趣旨)と、万人が聖者などと差別なく菩薩や仏のような心が現れること、仏教の平等観を説いている文言があった事を、僕はふと頭の中に浮かんだ。お義母さんの優しさが、仏教のいう、慈悲に通ずるものを僕は感じたのかも知れない。あるいは、母が子を思う優しさは、仏の異名とも言えるかも知れない。

 

 

 帰りは、南古谷まで車で送ってくれることになった。左手には、雲がかかっていたけれども、富士山が大きく見えた。さすが富士見市を名乗っているだけはあった。埼京線からよく見ていたそれとはまったくスケールが違っていた。本当に立派だった。

 「この前はマラソン大会応援行けなくてごめんね」とお義母さんは言った。そして「今度、聖火リレー出てみたら」と僕に勧めた。

 「川口がスタートですよね。前の東京オリンピックの聖火台は川口の鋳物なんですよ」と僕は言った。そうか、聖火ランナーになる事は考えていなかった。埼玉新聞で、7月から募集する記事を見たけれども、特に何も考えなかった。しかしお義母さんに言われてみると、生きている間に、またやるとは思えない、東京オリンピックに、聖火ランナーとして街を走ってみるのも面白いかも知れないと僕は思った。聖火は、埼玉県内では僕の生まれた川口市からスタートし、妻の生まれ育った富士見市も通るという。来年、僕の左手は、あるいは聖火をかかげて、埼玉県内を走っているのかも知れない。