7:台風19号のあとで

 

台風19号の被害は想像以上だった。

15号の被害状況や千葉県の対応が注目を浴びる中での19号の接近で、マスコミでも、今までにない規模の台風が首都圏を直撃すると連日報道していた。「さすがに今回はヤバそう」と僕は思った。だから台風が接近する2日前に近所のスーパーやディスカントショップに行って、食料や水を買おうと思ったけれど、考えることはみんな同じで、水はほとんど品切れ状態で、まるで3.11直後の光景を思わせた。僕の奥さんもスマホで防災対策を調べて、養生テープを買いに行こうとしたら、どこも売り切れで置いてなかったと言っていた。代わりに段ボールをもってきて一緒に窓ガラスに貼り付けた。

 僕の住んでいる埼玉県春日部市は、知っている限りでは大きな被害はなかったようだが、近くの公民館には130人、小学校には100人も避難してきたという。13日の深夜には、僕の働く福祉施設にも、市から連絡があったようで、市の職員が駆け付け避難所として開放することになり3人ほど避難してきた。施設長によればこの40数年間で初めてのことだったようだ。

 

 

 日に日に被害状況や課題が浮き上がってきて、本日付の埼玉新聞1面にも、堤防が決壊した64の河川のうち、埼玉や福島、宮城といった県が管理する河川のうち13カ所で水位計が設置されていなかったことが明らかになった。水位計は現状把握や、流域の水位予測に役立ち、人が住んでいる地域の比較的小さな河川でも設置した方がよいと専門家の意見が合わせて掲載されていた。

 

 2面の「フォーカス」(話題のニュースを深堀する記事。僕もよくチェックしている)には、台風から高齢者の命をどう守るかというテーマの記事が載っていた。

 福島県いわき市の老夫婦は、自宅1階で一緒に寝ていたが、氾濫した川の水が部屋に入ってきて、普段使わないベッドに避難した妻は助かったものの、足腰が不自由な夫・関根治さん(86歳)を引き上げることができなかった。治さんは「世話になった」と言い残しながら背丈の高さまで迫った水に沈んでいった――。

 今回の台風で亡くなった人の7割は高齢者。自治体による避難呼びかけの遅れや夜の避難で被害が拡大した例は後を絶たず、それを教訓に明るいうちに避難所を開設し自主避難を促す動きがあるようだ。春日部市も早いうち(12日、朝)から3カ所ほど避難所を設け周知していた。政府でも、避難勧告の1段階前に当たる発令を「避難準備・高齢者等避難開始」に変え高齢者避難を促している。一方で、いくら防災情報を流しても、住み慣れた家以外での生活を不安視してテレビ等の呼びかけに消極的な反応を示したり、避難を呼びかけられても「2階に上がれば大丈夫」などと行動に移さない傾向もあるようだ。しかしハンデがある人が、水が迫った時に、いざという時の、命を守るための素早い行動がとれない。

 専門家は、行政がバスで街を回って半ば強制的に避難させるか、近所同士で1カ所に集まってもらい一緒に移動するような対策が必要だと提案していたが、実現はなかなか難しいだろう。

 

 

 浸水等によって、避難所生活を余儀なくされている方がいる違いない。

9月上旬、児童福祉関係の研修で、4日間、東京・代々木に通っていて、その最終日に、僕は新宿コズミックセンターに立ち寄り、“避難所生まれのアーティスト”と呼ばれる遠藤昭三さんのダンボールアートを観に行ったことを思い出した。

 3.11の原発事故で遠藤さんは福島県郡山市の避難所に避難した。避難所は2500人の人たちでごった返し、個人の居場所を確保する仕切りや床敷きは、段ボールが使われていた。

 その中で遠藤さんは“辛い避難生活の象徴のような段ボールを「希望」に変えられないか”と考え、段ボールを使い見よう見まねで立体的な貼り絵を作り始めた。桜の花々や金魚と明るい色を基調とした段ボールアートは避難していた人々の心を和らげ、大好評だったという。僕自身、現物をみて丁寧な色使いで段ボールがここまで魅せられるものかとびっくりした。その評判は全国規模で広がり、東京や大阪、広島などで展示されるようになった。

 今回の台風で、僕はたまたま何事もなかったけれども、遠藤さんの物事の向き合い方はとても参考になる。

6:タピオカ大行進

 

 この間、奥さんと、春日部市役所で県知事選の期日前投票に行った。

県知事選については、埼玉新聞の1面に毎日のように報道されている。少子高齢化、企業誘致、県内の南北格差(秩父地域の人口減少)と日ごとにテーマを変え、現状と課題、主要候補者のそれについての見解が掲載されている。近々の新聞の報道によると、やはり自民・公明が推す青島候補と立憲・国民・共産が推す大野候補が競り合っているようである。

 選挙公報(新聞と一緒に投函されたり駅前に置かれている各候補者の公約が書かれた広報誌)にも目を通すと、他の候補者と比べれば、先の有力候補者2人の方が心強い感がある。けれども、政策が正直なところ変わり映えしないような気がする。強いて言うなら、県庁建て替えについては意見が割れていて、青島氏は建て替えを、大野氏は反対し、その建て替え費用で他の施設修繕・建て替え(たとえば病院や児童自立支援施設等)に充てたいとの意向だったと思う。

 どの候補者に入れるのがベストなのか分からないけれども、「この人かな?」という方に僕は投票した。

 それにしても、国政選挙はテレビでも取り上げられるし、市町村レベルの選挙は自身に身近と感じるけれども、県議会や県知事といった県単位の選挙って自身の生活にどれだけ身近に関わっているのか正直ピンとこないものである。

 

 

 投票を済ませた後は、昼食をとるため、近くの商業施設ララガーデンに向かった。その途中で、いつの間にか、タピオカ店ができていることに気がついた。羽が描かれた窓ガラスから店内をみると、女の子たちでほとんど満席だった。昼食をタピオカで済ませるつもりなのか。ちょっと驚いた。

 原宿にタピオカランドが出来たりと、奥さんが「タピオカ飲みたい」と言い出すなど、東京から発信される若者文化の波が、着実に春日部にも流れ込んできている。ララガーデンに着くと、すぐ目の前に、タピオカのキッチンカーが止まっていた。こんなにタピオカと単純接触していると、どうしても、気になってしまう(なんか恋愛みたい)。

 そんなわけで、僕たちは昼食を済ませた後、ヤオコーに立ち寄って、冷凍タピオカと飲み物を買った。ヤオコーの冷凍タピオカは、量も多いし、断然お店で買うよりもお得でした。

 

3

 

 春日部にもタピオカが進行してきたことを知った日から2日後、僕は実家に帰る為に、大宮駅から京浜東北線に乗り換えた。大宮の駅前には、僕の知っている限り、4店ほどタピオカ屋があり、そのうち2店は店の前を通るたびに行列ができている。

 北浦和で男子高校生3人が乗車してきた。

「これからタピらね?」とその中の1人が言った。

「今日は嫌だよ。俺、昨日Lサイズ飲んだし、金がねぇよ」と隣の高校生が言った。

「俺、3日連続でタピオカ飲んでいるけど、タピろうぜ」と粘ってみせる。

「嫌だよ。さすがに飽きたよ」

 そんな問答を僕の目前で展開されていて、ちょっと面白かった。一方でタピオカの熱いブームも、太陽のように、静かに沈んで行っているような気がした。そして今回がそうであったように、沈んだタピオカブームは、また太陽が昇るように復活するような気がする。それが5年後か10年後かはわからないけれども。

5:ハハノキモチ

 

 梅雨入りしてから、しばらく続いていた雨も小休止に入ったようで、その日はよく晴れて青空が広がっていた。

 私鉄から大宮に出た僕と妻は、ルミネにある花屋に立ち寄った。妻のお義母さんの誕生日プレゼントを買うためだ。ピンク系の、いかにもプレゼント用の花もあったけれども「夏っぽいから」とフラワーアレンジメントされた小さな向日葵を買った。その後ろでは、高崎祭のPRイベントで、巨大達磨の前にたくさんの人たちが並んでいた。おみくじもやっていたのか、達磨の近くに置かれた台に、それを楽しそうに結びつけている男女が目に映った。

 それから、JRの改札中にあったお土産屋にも立ち寄って、桃とサクランボの洒落たケーキを誕生日プレゼントとして買った。妻がお金を出そうとしたが、「俺の手柄にさせて」とケーキ代は僕が出すことにした。さすがに、これから善意で出してくれた、新婚旅行の費用を貰いに行くのに、自分だけ手ぶらでいくのは気まずいし、お世話になっているお義母さんたちに誠意を見せたいのである。

 

2

 

 久々にE233系に乗って南古谷まで行く。そこから、お義父さんと合流して車で、妻の実家に向かった。妻の家族とは、平成最後の日に、妻の親戚宅に挨拶へいくために会った。そして今日、令和始まって初めて顔を合わせる。

 「マラソン大会、応援行けなくてすみませんでした」とお義父さんは僕にそう言った。

 「いえいえ。他のマラソン大会は冬場にやるのですが、春日部のマラソン大会は遅い時期にやるもので、とても暑くて、たった10キロでも、かなりきつかったです」と僕は答えた。

 右手には道沿いに田んぼが延々と続く。田んぼを向こう側から住宅地が広がり、さらに先に行くと高い建物がいくつか見えてくる。しばらく志木方面へ向かって走っていると、左手にさいたま新都心のビル群が見えてくる。さらに奥に目をやると、両家の顔合わせに使った浦和パインズホテルが見えてくる。沖縄料理屋を通り過ぎ、大きな道路を渡り、少しすると、妻の実家が見えてきた。

 

3

 

 家に着くと、お義母さんがすぐに昼食の準備に取りかかった。僕は妻と話しながら、部屋を見回していた。部屋には、幼い時の家族写真と、結婚して家を出る前にいった家族旅行の写真が棚に飾られていた。お義父さんとお義母さんの人柄がよくわかるような気がした。

 昼食には、唐揚げ、鯛の煮つけ、サラダ、キュウリのおしんこ、揚げナスを麺つゆで浸した料理(名前がわからない)が、テーブル一杯に並んだ。ちょうどその頃、妻の妹も東京から戻ってきた。

 どれも、とても美味しかった。胃の調子が悪くなければもっと食べられたのにと僕は思った。

 話は、新婚旅行の話になり、お義母さんが僕に尋ねる。

 「宮沢賢治の博物館がある花巻も考えたんですが、梅雨のこともあって、色んな事を考えて、結局のんびりできそうな青森の星のリゾートに行くことにしました」と僕は言った。

 「斜陽館には行かないの?」

 「太宰治の実家のあるところですよね。八戸から津軽って結構遠くて、その代り、久慈には行く予定です」

 「久慈へ行くレストラン列車があるから、青森にしたんだけど、予約がいっぱいで取れなくて」と妻がお義母さんに説明した。

 テレビは、SL特集がはじまった。かつて各自治体に、旧国鉄が無償で提供したSLが、老朽化とずさんな管理で痛み、補修費も数千万になり、維持していくのか解体するのか、各自治体が、どう扱っていくのかがピックアップされていた。さいたま市中央区役所に展示されていたSLは、解体の道を選び、現在その場所は駐輪場になっている映像がテレビから流れていた。僕とお義母さんたちは、それをぼうっと見ていた。一方で、妻と妹は、妻が持ってきた結婚式のパンフレットを一緒に見て、2人で盛り上がっていた。

 テレビは野球中継に変わった。埼玉西武ライオンズヤクルトスワローズの試合で、1対1、4回の表で、ちょうど西武の攻撃になろうとするところだった。

 「野球は好きなの?」とお義父さんは、ふいに、僕の方を振り返って聞いた。

 「いいえ、見ません」と僕は即答した。お義父さんは、ヤクルトファンらしい。一瞬、僕の好きな作家、村上春樹が名誉会員なんですよとなんて薀蓄を言おうと思ったが、結局口には出さなかった。

 「ヤクルト、負けてばっかりで、全然ダメなんだよ」とお義父さんはお義母さんと話している。そうしている間に、西武は1塁、3塁に打者を送り、次に気づいた時にはホームランを打たれたようで、一気にヤクルトは3点も西武に許してしまう。お義父さんは、きっとがっかりしたに違いない。

 そんな風に時間がゆっくりと流れている間に、僕は、さっぱりして美味しかったナスを何回かつまんで食べていると、妻がお義母さんに「この料理、作り方教えて」と聞いた。僕が何回も箸で取って食べているのに気がついたのだろう。

 「アヤちゃん(仮名)が好きだから作ったの」とお義母さんは言った。それから作り方を僕の妻に細々と説明してくれた。

 久々に娘が遊びに来るから、娘の好きな料理を用意しようという、母の深い優しさや愛情から出る振る舞いに、僕は少し心を動かされた気分になった。『観心本尊抄』という仏典に、「どんな人でも自身の子に対して慈愛の心が出る」(趣旨)と、万人が聖者などと差別なく菩薩や仏のような心が現れること、仏教の平等観を説いている文言があった事を、僕はふと頭の中に浮かんだ。お義母さんの優しさが、仏教のいう、慈悲に通ずるものを僕は感じたのかも知れない。あるいは、母が子を思う優しさは、仏の異名とも言えるかも知れない。

 

 

 帰りは、南古谷まで車で送ってくれることになった。左手には、雲がかかっていたけれども、富士山が大きく見えた。さすが富士見市を名乗っているだけはあった。埼京線からよく見ていたそれとはまったくスケールが違っていた。本当に立派だった。

 「この前はマラソン大会応援行けなくてごめんね」とお義母さんは言った。そして「今度、聖火リレー出てみたら」と僕に勧めた。

 「川口がスタートですよね。前の東京オリンピックの聖火台は川口の鋳物なんですよ」と僕は言った。そうか、聖火ランナーになる事は考えていなかった。埼玉新聞で、7月から募集する記事を見たけれども、特に何も考えなかった。しかしお義母さんに言われてみると、生きている間に、またやるとは思えない、東京オリンピックに、聖火ランナーとして街を走ってみるのも面白いかも知れないと僕は思った。聖火は、埼玉県内では僕の生まれた川口市からスタートし、妻の生まれ育った富士見市も通るという。来年、僕の左手は、あるいは聖火をかかげて、埼玉県内を走っているのかも知れない。

4:ツイッターと群像/住んでてよかった埼玉ものがたり

 1.ツイッターと群像

 

――同じような思考回路の集まり。

 

 ここ最近は、本もまともに読める時間が取れなくて、ちょっとした隙間時間にツイッターを眺めていることが増えた。僕はほとんどツイートすることはない。自治体や有名人の公式アカウントを中心にフォローし、ときおり気になるユーザー(まったく面識のない人間)をフォローし、“彼ら”の言動をマークしている。

 結局のところ、“彼ら”の発言をみることによって、僕の考えやアイデンティティといった深層心理的な部分の支持や肯定を求めているのかも知れない。インターネットは便利だけれど、自身の都合のいい断片的な情報しか入らなくなるとよく言われる。まさにそれをツイッターの眺める時間が増えたことによって、ひしひしと感じている今日この頃。

 

 昨日、そんな“彼ら”のリツイートや「いいね」が、上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞内容について集中していた。“彼ら”は、(おそらく)互いに面識のないのだけれども、同じ共感ポイントを持ちあわせていることを改めて感じずにはいられなかった。もちろん個々に感じたことは違っただろうけれども。

 

 今朝の埼玉新聞にも上野さんの祝辞についてのニュースは掲載されていた。「努力だけではどうにもならないことがある」といった主旨の話は、知的な刺激に満ちたものだったし、主体的な行動を促せるものだった。ある広報担当のビジネスマンが、いま求められるリーダーシップは、人を引っ張っていく力ではなく、部下たちをワクワクさせられるか否かがポイントであると言っていたが、上野さんの祝辞は僕にそのビジネスマンの言葉を思い起こさせた。ぜひ全文読んでみてください。

 

2.住んでてよかった埼玉県ものがたり

 

 去年あたりから、埼玉は翔んでる。“ぶっ”が頭に付くくらい。

 

 住みたい街ランキングで、大宮、浦和が上位を押さえたり、『翔んで埼玉』も完成度が高い映画だったし、テレビの特集でも埼玉県のことがたびたび取り上げられるようになった。ここ最近マジ埼玉異常気象並。……そんな埼玉の飛躍(?)を、(たぶん)多くの埼玉県人たちが、違和感とともに、ちょっぴり「住んでてよかった埼玉」と、感謝の念が湧いたに違いない。

 

 昨日から妻が寝込んでいる。食事はほとんど食べられないし、頭痛とめまいが続いている。一昨日、クリニックから渡された内服薬の副作用が原因なのは明らかだった。

 2日目の今日も、少し回復したとは言え、ほとんど起きられないし、頭痛とめまいがしている。内服は中止して、処方された薬を調べてみると、重大副作用に血栓症と書いてある。休日だからカルテのあるクリニックに連絡しようがない。「ごめんね」と極端に弱々しくなっている妻を見て、心筋梗塞脳梗塞の心配が僕の頭を過ぎる。最悪な事態を考えたとたん、僕の身体から血の気が引き、一瞬、めまいのようなものまでした。初期対応を誤れば、取り返しのつかない事になるかもしれない。

 だからといって動きようがない。不安ばかりが募る。窓の外には薄い灰色の雲が広がっている。それはまるで今の僕の気持ちを表しているような気がした。

村上春樹の小説で「生と死は対極にあるものではなく自身の内側に存在するのだ」(『ノルウェイの森』)と言った。仏教開祖である釈尊四門出遊の話だって、死は身近に、自身にも存在しているという現実を知らせる話だった。

 死は我々の身近に存在する…。そんなことを考えながら、インターネットで薬の副作用について調べていると、ふと「♯7000」のことを思い出した。

「♯7000」とは、救急車を呼ぶほどではないけれども、どうしたらいいのかわからない時にかける救急電話相談のことである。僕がそれを思い出したのは、川口市に住んでいたときだった。川口市選出のある県議会議員(先週の県議会選挙でまた当選を勝ち取ったようです)が、自身が推進・拡充した政策実績として語っていたことを僕は覚えていたのだ。

 現在、その「♯7000」は、「♯7119」に変わり、それぞれ別々だった子どもの救急電話相談、大人の救急電話相談、医療機関案内の窓口が一本化されている。

 さっそく僕は「♯7119」に電話を掛ける。相談員である看護師が電話に出る。

 「もしもしー」

 「どこにお住まいですか?」と中年女性の声がした。

 「春日部です」

 「どうされましたか?」

 僕は妻のこれまでの経緯と容態、服用した薬を伝えると、「明日、カルテのあるクリニックに電話してください。食べ物は無理に食べさせなくていいです」といった返答が返ってくる。あまりにも即答で簡潔だったので拍子抜けした僕はさらに妻の容態の話を付け足すが、中年女性はまた同様の言葉を僕に投げかけた。

 しかし看護師の回答を聞いているうちに、僕の中にあった漠然とした不安は少し和らいでいった。

 「お大事になさってください」と言われて電話を切った。

 ちなみに、この電話窓口は他県でも実施されているが、夜間のみだったりと時間制約がある。365日24時間相談対応ができるのは埼玉県だけであるようだ。国政はニュースで注目され、市政は身近であるが、その間である県政というのはなかなか人の目には見えにくいし、身近に感じにくい。ついこの間の県議選の投票率は過去最低だったという。

 病気や副作用による体調不良には休日も夜間休みも存在しない。そんなニーズつかみ政策へと繋げたあの県議の慧眼には感心しつつ、県の制度として作りあげ、運用している埼玉県に「住んでててよかった埼玉県」と感謝の念を抱かずにはいられない。

3:ルポ 春日部の歯医者さん

 

 一昨日、ふいに歯が痛みだした。鏡で自身の歯をよく見てみると、奥歯の歯と歯の間が黒くなっていた。そこはよく食べ物が挟まって、数年前から糸ようじを買って毎日念入りにケアをしていたところだった。

 

 僕が住んでいる春日部の中心地から離れた某駅周辺には、わりと歯科が多い。川口に住んでいた頃、うんざりするほど眼中に入っていたサイゼリヤやガスト、ドトールといったチェーン店はここでは全く見ない。その代り歯科は僕が知っている限り5カ所ほどある。

 選択肢が多いと、逆に困るものだけど、通院しやすさと内装の綺麗さ(キッズスペースがある)から、T歯科で診てもらうことにした。すぐ隣にも歯科があって、そこにいる歯科医は麻酔の権威と思わせる看板があるけれども、建物は古いし、2階にあって中の雰囲気がわからなくて、なんとなくT歯科へ行くことにした。

 

 

 案内されたリクライニング式の診察台に座ると、松本穂香さん似の綺麗な歯科助手がやってきた。僕から歯の状態を聞き出し、先端に鏡の付いた医療器具で、歯の状態をチェックする。顔前に向けられた照明からは僕の顔が薄っすらと映っている。剃り残した髭が妙に気になる。休日だから、いい加減に剃ったのがバレバレである。歯科助手が一所懸命に左から右へ、右から左へ医療器具を動かす度に、僕はだんだん恥ずかしさを覚えた。

 

 「口を閉じくださーい」

 

 「口をあけてくださーい」

 

 その甘い口調は、まるで粉砂糖をふりかけるときのような優しさに似ている。歯科助手は、たぶん不慣れなのだろう。医療器具で僕の歯を何回も繰り返しチェックする。臥床した状態で、ずっと口を開けているから、流れてくる唾液がうまく呑み込めない。

ちょっと苦しくなって「早くしてくれ~」と心で念じても、松本穂香さん似の助手には届かない。…「くぅーキツ」と自分が唾でむせ込む姿を脳裏に想像していると…またあの粉砂糖をふりかけるときのような優しい口調で「口を閉じてくださーい」と。そして、また魔法の言葉「口をあけてくださーい」と言われて、長くなるだろうなぁと腹を決めて口を開ける。

 

 優しさには優しさを。助手の方が優しく振る舞ってくれているのだから、こちらも少しは気を使わなければならない。

 この間、新聞で読んだけれど、世界終末時計(核戦争などによる人類の絶滅を午前0時となぞらえ、その終末までの残り時間のこと)が現在は2分前であるという。僕が生まれた1990年は10分前、ソ連が崩壊した1991年は17分前に延びたわけだけれど、その後はどんどん短くなって、ついには残り2分前となる。どこまで頼りになる時計なのか分からないけれども、つまり今と言う時代は平和ではないんですね。終末時計の話に限らず、世界レベルでは「分断」云々が言われているし、物事が単純化され極端な方向に処理されたり流されている感は肌身で感じることがある。

 そんな時代だからこそ、ちょっとした気遣いって大事。

 

 そういうことを考えながら、僕は照明に映る剃り残した髭を見ながら口を開けていた。唾液が喉の奥に流れ込もうとしている。またちょっと苦しくなってきた。

 

・・・「口をとじてくださーい」。やっぱり長かった。

 

 

 綺麗な内装、綺麗な歯科助手と来たら、やっぱり医師はさわやかなイケメンであった。

 学生時代にお世話になった関西出身の先輩に顔が似ていた。先輩は八王子の大学に行くために、川口へやってきてそのまま都内に就職したと記憶している。関西なまりでありながら、切れのよい話し方は、内容こそ忘れたけれども、僕の心の中で、目指すべきよい先輩のモデル像となっている。

 イケメン医師は、虫歯を確認し、レントゲンを撮るように助手に指示をする。

 レントゲン室は近未来そのものだった。僕は松本さん似の助手に促されるまま顎を機械にのせた。すると、天井に取り付けられた2つの機械が、不思議な電子音とともに、僕の頭の周りを人工衛星のように回り始める。

 

 レントゲンを撮り終えたあと、診察台に戻って、眼前にある大きなモニターで自身のレントゲン写真をみる。所々、濃い白で映っているのはおそらくずっと昔に処置した虫歯の痕だろう。その他は専門家じゃないから、よくわからない。

 イケメン医師が戻ってきて説明を聞きながら、改めてレントゲン写真を見ると、なるほど確かに虫歯になっているところが、黒い陰になっている。しかも歯の半分をその黒い影が被っている。

 「虫歯が歯の神経まで届いたから痛みが出てきたわけです」とイケメンは言う。

 糸ようじを使い始めてある時から、その箇所が引っ掛かる感覚があった。でも痛みがないから気にしなかった。それは単純に虫歯が神経に届いていなかったからで、知らない間にどんどん虫歯菌が僕の歯を削っていったのだろう。

 その後、目の前のモニターで、これからの治療過程の動画を見せられる。その上で「型取りなど含めて、あと5~6回ほど来てもらうことになります」とイケメンは僕に補足した。今の歯科現場ではこんなにも丁寧に治療のプロセスを説明してくれるのだと感心したものである。

 

 優しい歯科助手、イケメン歯科に気持ちをよくし、最新鋭の設備や治療プロセスに関心しながら、僕は受付に行った。そして渡された領収書を見てびっくり。

5380円!…自然と先のイケメン医師の言葉が頭を過ぎる……「あと5~6回来てもらうことになります」。……頭の中の計算機はスロットゲームが回り始めるように忙しく計算を始める。

 

 「……次回の診察はいつ頃がよろしいでしょうか」

 「あっちょっと待ってください」

 僕は慌ててリュックからシフト表を出した。

2:難しい誠意

 

 1月下旬のある日――僕はS駅の駅前にいた。昨年「ゆるキャラグランプリ」で、埼玉県勢で初のグランプリに輝いたカパル君がいる街で、ちょっと話題になったんだけれど…まぁわからないですよね。そういえば、数年前に荒川に迷いこんだアザラシを、「ごまちゃん」(あるいは、アラちゃん?)とかネーミングして街を盛り上げようとしたのもこの街でした。…まぁ、これもたぶん覚えていないですよね。でも、青空が広がる昼下がりに、ときどき、アザラシが川から顔を出して、ボケーとしている光景がある街ってけっこう魅力的ですよね(と、思っているのは僕だけか)。

 

 バスに乗り、しばらくすると、密集した住宅が疎らになり、田園が広がってきた。右手のだだっ広い田園からは、さいたま新都心のビル群がはっきりと見えた。それはまるで映画『君の名は』のような、都市と田舎の対比をしているような風景だった。

 

 

 彼女の実家に遊びに行ったのは、これが初めてだった。本当は、新年の挨拶をするために、上旬に行くつもりだったが、僕が体調を崩してこの日となった。

 

 人の家に来て、僕がまずやってしまうこと。

 

部屋に置かれている本を見て、相手の内在的論理―と、佐藤優さんのような感じじゃないけれど―を考えることなんですね。

 本自体はほとんどなく、置かれている本も、新刊書店で買っているようで、紙のカバーで本が包まれていた。唯一、目に入ったのは埼玉県の雑学に関する本だけでした。

 

――大丈夫かな、と僕は思った。僕のアパートにはここの10倍、、、もしかしたら100倍くらいは本があるかもしれないからだ。福祉や教育、心理学、精神医学、仏教、児童文学の本、夏目漱石芥川龍之介の全集がびっしりと2つのカラーボックスに入っているし、それだけでなく押し入れの1段目にも本が「山」というか、ベルリンの壁みたいになっている。それを見たときに、彼女のご両親は何を考えるだろうか。自分で言うのも、変だけど、けっこう僕の家の本棚はインパクトがある。

 

 

 昼食を頂くことになっていたので、ご両親が用意して下さったお寿司やローストビーフ、手作りの煮物、ほうれん草のおひたしが炬燵に並べられた。

 丁寧に盛り付けられたローストビーフやおひたしなど…細部までご両親の配慮を感じずにはいられなかった。やはり日本は滝川クリステルさんが言うように「お・も・て・な・し」の国なのです!

 味もとても美味しかったし、煮物もおひたしもおかわりを頂きました。しかし僕はせっかく料理を作ったお母さんに「美味しい」という言葉を一言も言いませんでした。

 その言葉を口で言ってしまうと、なんとなく嘘っぽく聞こえてしまうような気がしたからです。

 逆に、食事が少し落ち着いてから、僕が大宮のデパ地下で買ってきたバームクーヘンが出てきて、みんなで食べたとき、ご両親は「美味しい」と言って下さった。

 

4

 

 後日、僕から、あえてあのとき「美味しい」って言葉を言わなかったことを彼女に話してみたら、お母さんは気にされていたようで、なんか悪いことをした気分になった。

 定形化された言葉、繰り返し使われる言葉が、僕はあまり好きじゃない。東日本大震災で「絆」「つながり」って言葉が、繰り返し繰り返し色んな場面で使われました。僕自身、震災直後は「今の日本に足りないものは、つながりなんだ」と思ったりしたけれど、どんどんに同じ言葉を浴びてくると思考が停止してくるし、形骸化してくる。現に、震災後から見るようになった商店街とかにぶら下がっている「絆」「つながり」なんて旗やチラシに心を動かされて行動する人なんて、いないでしょ。定形化された言葉、繰り返され続ける言葉が価値を生むことはほとんどないのだ(と、僕は思ってます)。

 そういう理屈で、お母さんに気を使わせないつもりで「美味しい」という定形化した言葉を使わなかった。だからと言って、語彙力のない僕が美味しさをうまく表現する的確な言葉をついに見つけられなかった。

 ある場面においては、否、魂の込められたイキた感情があれば、定形化された言葉が一番ストレートに相手の心に伝わる(のかもしれない)。素直な気持ちから出る「美味しい」って言葉が。――変に難しく考える必要なかったな。

1:不思議なお粥占い

 

 ブログを始めました。以前から、何か書きたいと思いつつも、仕事の忙しさに流されて、何もできずにいました。新年というキッカケが、後押しくれて、ようやく筆を起こす気になりました。

 そして今年は僕個人としても、人生の転換期を迎える年でもあるので、その時々に、五感で感じたことなどをできる限り記録として書き残しておきたいという欲もあって、ブログを始めました。

 

 

 今年といえば、「平成」が終わり、新時代を迎える年でもある。だからと言って、日本経済が急激な右肩上がりになって「限界突破」するわけでもなく、雨後の竹の子のように子どもたちが生まれて「少子高齢化」は過去の産物になる見込みもないわけで、新時代という概念が何かしてくれるわけではない。

 2020年にオリンピックをやったり、大阪で万博が開催されることが決まるといった明るい話題もあるけれども、若い人たちの直感は鋭くて、新成人の約6割は日本の将来は暗いと答える調査結果が、ちょっと前の新聞で載っていた。――新時代も、世界的なお祭りも、日本の根本的な問題の前ではどうにもならないのだという若い人たちの本音が垣間見れるような気がする。

 

 

 「あかん、新年早々、お先真っ暗やなぁ」と思っていたら、追い打ちをかけるような記事を僕は発見する。

 それは本日付(1/21)の埼玉新聞のコラム・さきたま抄(朝日新聞の「天声人語」みたいなもの)で、小鹿野町(埼玉県西部にある町)の民俗行事について書かれていた。

 

 小鹿野町では小正月に、お粥を煮立てて、今年1年の天気や作物の豊凶を占うという民俗行事(馬上の管粥)があるのだとか。

 

 で、その占いの結果、今年の社会情勢については「見たことのない影」が出ていたという。

 

 「お粥で今年の幸不幸を占うなんて」と小ばかにしながら続きを読んでいると、

 

 代々の埼玉新聞社の記者たちの間では、この占いは当たることが多いと言われているらしい。

 

 「うん?!」と僕の顔は少し険しくなる。

 

 さらに続きを読むと、阪神淡路大震災東日本大震災の年も「どうしてこんなに…」と言われたほど悪い結果が出たと書かれている。そのあと記事は南海トラフ地震のことや、いたずらに不安がるのではなく今できる防災対策をしっかりとるように呼びかけていた。

 

 「やれやれ」と僕は思った。後付けでいろいろ言えてしまうお粥占いで多少なりとも心を揺さぶられた自分にうんざりしたからだ。だからと言って、防災対策に無頓着でもいられない。今月になって、短い間で、2回程度、地震で揺れたのも気になる。